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9月

情報・知識&オピニオン imidas (2014/9/12) 

「情報・知識&オピニオン imidas」 (集英社) サイトにて、〈弱いロボット〉について紹介していただきました。

以下は、一部抜粋です!

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なぜ「弱いロボット」を研究するのか

人とロボットの共生社会を探る

皆さんは「ロボット」と聞くと何を期待するでしょうか。高度な機能を持ち、便利な社会を実現する未来志向の存在。人間にはできないことをかなえてくれる夢の機械。そんなイメージが一般的かもしれません。一方、ここで紹介するのは、“自分ではゴミを拾うことのできないゴミ箱ロボット”など、どうにも世話のやける「弱いロボット」たちです。はたして、こうした研究からは何が見えてくるのでしょう。

「引き算」で発想したロボット

 介護や医療の現場にロボットが導入され始め、アメリカでもGoogleがロボット開発に本腰を入れて関連企業をいくつも買収するなど、近ごろ世界的にロボットブームが到来しているようです。今後、ロボットがいっそう社会に進出してくるのは間違いありません。そこで問題になるのは、人とロボットとの共生はどうあるべきかという、古くて新しい課題です。
私たちの研究室では、人とロボットのかかわり、さらには人間同士のコミュニケーションや人間の知性を議論するための道具として、ロボットを研究しています。コミュニケーションの本質を理解するためには、いちど人から離れて、ロボットという「異邦人」を通して考えたほうが見えるものがあるのではないかという発想です。したがって、私たちが作るロボットは、必ずしも今すぐ世の中のためになるような「役に立つロボット」ではありません。むしろ一人では何もできない「他力本願なロボット」、言い換えれば「弱いロボット」たちばかりです。
ロボットのデザインには大きく分けて二つのアプローチが考えられます。一つは「足し算としてのデザイン」。すなわち、ロボットの内部にすべての機能を集約し、個体として自己完結を目指したデザインです。多くの人が「ロボット」という言葉でイメージするのはこちらだと思います。一方、それとは反対に「引き算としてのデザイン」があってもいいはずです。これは簡単そうに見えて、実はけっこう難しい。引き算をするということは、余分な機能をそぎ落とし本質をえぐり出す作業でもあるからです。
結果として、一人では何もできない奇妙なロボットたちが誕生しました。いずれも、自分の中にすべての機能を抱え込むのではなく、半ば周囲に委ねてしまう、すなわち常に他者の存在を予定し、人間が手助けすることで新たな価値が生まれることを目指したデザインです。こうした存在を「関係論的ロボット」と呼びます。もっと一般的には、「ソーシャルロボット社会的ロボット)」と呼ばれています。
これらの発想の根本にあるのは、私たち人間も実は単体で完結しているわけではなく、むしろ周囲の環境との相互関係の中で一つのシステムを作っているという考え方です。ここでいう環境とは、地面や障害物というもののほかに、親や友人、すれ違った見知らぬ人間など、社会的環境も含まれます。
私たちの身体は基本的に不完全なものです。ところが、不完全なりに周囲に依存しながら賢くやっている。同様に、周囲の支えがあって初めて自立するという発想でロボットを作ってもいいのではないか。そう考えると、こういうロボットたちが生まれてくるのです。次に具体的な例をいくつか紹介しましょう。

(続きは、imidasサイトで、どうぞ!)

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