オープンミドルウェアレポートの「数理的発想法(4)」で、〈弱いロボット〉の話題を紹介していただきました。
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数理的発想法(4)
「弱い」ロボットが、新しい「人間観」を切り開く
いつの時代も、創造性の核には個人の「発想」があった。「発想」をかたちにするには技術のたすけが必要だが、情報通信技術の発展は、そのプロセスを大きく変えた。「発想」にはじめから、技術がビルトインされるようになったのだ。そうした発想のあり方を、かりに「数理的発想法」と名づけてみた。
連載第四回目に登場するのはロボット研究者の岡田美智男さん。ただし、彼がつくるのは最先端のヒューマノイド型と一味ちがう、「関係論的ロボット」と呼ばれるものだ。言い替えるなら「弱いロボット」。なぜロボットに弱さが必要なのか。その考え方の底にあるものをうかがった。今回のキーワードは〈環境〉と〈身体〉である――。
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ロボットという言葉から、あなたは何を思い浮かべるだろうか。製造業から医療、災害対応など多くの分野で実用化されている産業用ロボットか、それとも人間のように二足歩行する「ヒューマノイド」型か。あるいはより人間そっくりな表情を浮かべる「アンドロイド」かもしれない。なかには一般向けに商品化されたソニーの犬ロボット「AIBO」や、円形でかわいい掃除用ロボット「ルンバ」をすでにお持ちの方もいることだろう。
「ロボット」という語の語源は、カレル・チャペックというチェコの作家が1921年に発表した『R.U.R』という戯曲にある。題名は「ロッサム万能ロボット会社」の略で、この作品におけるロボットは、人間の代わりに、人間以上の効率で労働する機械である。姿かたちはともかく、現在の産業用ロボットはその延長線上にある。
日本では手塚治虫のマンガ作品『鉄腕アトム』(1952年~)とそのTV版アニメーション(1963年.)の与えたインパクトがあまりにも大きく、世界でもめずらしいほど「ヒューマノイド」型の開発がさかんな国となった。しかし、私たちの日常生活にロボットがごく自然に溶け込むには、まだ至っていない。
こうした既存のさまざまなアプローチとはまったく異なる方向から、「ロボット」を研究開発している人がいることを、ある本をとおして知った。2012年9月に刊行された『弱いロボット』(医学書院)の著者、岡田美智男さんである。
ロボットが「弱い」とはどういうことだろう? 岡田さんは現在、愛知県豊橋市にある、豊橋技術科学大学で教えているという。幸いなことに、この本に登場するものをはじめ、彼のプロジェクトで制作された一群のロボットが一堂に会するイベントが行われる予定があることを知った。実物が動くところをまとめて見られる機会は、これを逃すとしばらくないそうだ。大きな期待を抱いて、豊橋へと向かった。
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