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2月

朝日新聞「be」フロントランナー(2014/2/15)

朝日新聞「be」フロントランナー(2014/2/15)にて、〈弱いロボット〉を紹介していただきました。

「弱いロボット」が教えること

その研究室に並ぶロボットは一風変わっている。
東京大学の入試に挑まんとする人工知能とか、精度を高める戦争用の無人橋とか、そういった最近話題のロボットの類いではない。「1人では何もできないけど、人間の助けや働きかけがあると何かができる」。つまり「弱いロボット」なのだ。
最近作の一つは「トーキング・アリー」、楕円の真ん中に目があるだけ。聞き手がいると、「あのね、今日ね、学校でね」と話すが、聞き手が目線をはずすと「聞いてないの?」とばかり、不服そうに話をやめてしまう。
「おどおど話して、かわいいですよ。たどたどしくても、相手の態度やタイミングを見ながら話してくれると。やさしく感じる。いかに流暢に話せても、『寒くなったね』といって、『現在の気温はセ氏7度です』と返事が来たら、会話は止まります」
一緒に手をつないで歩くだけの「マコのて」、ゴミを拾いたそうなそぷりで人間の手助けを引き出す「ゴミ箱ロボット」……研究室の学生たちと製作したこれらを「社会的ロボット」と言う・容姿や能力の面で人間と同型ではないが、関係の切り結び方が人間に似ているので、不思議な「人らしさ」がにじむ。
認知科学や生態心理学の知見に触れた30代半ばから、「ロボットを題材にしたコミュニケーション研究」に没入し始めた。「「話す」という行為を考えても、人間という存在は不完全で、周囲と一つのシステムをつくり、常に調整している、その相互作用がコミュニケーションです」
2012年に刊行した著書「弱いロボット」は、意外にも福祉や介護を扱う医学書院の「ケアをひらく」シリーズの一冊。担当編集者の白石正明さん(56)は、そのコミュニケーション観が、ケア現場での「自立」や「依存」の常識を検証し直す手がかりになると感じた。「手で思考し、思考の結果を手でつくる。ロボットの現場から発想するから、学者が机上で考える『コミュニケーション論」より説得力がある。臨床現場にもなじみがいい」
有用性、効率性といった工学的価値観は苦手。平凡に見える問題を長時間、根本から考える。「自動販売機の音声『ありがとう』になぜ感謝の気持ちを感じないのか」は25年、「コンピューターはなぜ口ごもらないのか」は20年。
「できないこと」「頼ること」は、裏返せばプラスの価値にもなり得るという論理は、人間の能力観への多くの示唆を含む。自立や自己責任が大手を振る風潮への、柔らかな異論にも思える。

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「他者が支えてくれるから話せるのです」
ーこの「ゴミ箱ロボット」はちょこちょこ動くんですね。

自分ではゴミを拾えないけど、トボトボ歩いて、ゴミが入ると、軽く会釈をする。生き物のように振る舞うんです。子供たちの前に置くとたたかれもしますが、しぱらくすると面白がってゴミを入れてくれる子も出ます。

ー不思議なコンセプトです。あまり理解されないのでは。

ロボットの制御理論の専門家からは「どこがロボットだ?」となるかもしれません。2002年に製作し、05年の「愛知万博」に「次世代ロボットの開発」として提案したら、書類審査で落とされました(笑い)。10年にやっと特許がとれました。
ー他力より自力でゴミを拾ってくれるほうが、一般的にはロボットという感じがします。

自力でゴミを拾うためには、センサーや画像処理、アーム、制御などの技術的検討が必要です。ただ、そんなロボットは、従来型の「作業機械」に思えるのです。私が関心があるのは、「拾うスキル」より、「ソーシャル(社会的)なスキル」。他者との関係の中で存在し、その相互作用で何かができるロボツトです。

ーゴミ拾いで言えば、お掃除ロボット「ルンバ」は、自力で勝手に掃除してくれますよ。

いいえ。アイ・ロボット社が開発したルンバの基本哲学は、マサチューセッツエ科大(MIT)の研究者ロドニー・ブルックスによるものですが、私の言葉で言えば「弱いロボット」なんですよ。

ーそうなんですか!

ルンバはコードが巻き付いたり、机の隅の袋小路に入り込んだりすると動けなくなる。だから掃除の前に、少し人間が部屋を整理するでしょう。つまり、ルンバの「弱点」が、人間のアシストを引き出し、一緒に掃除している。
そればかりではありません。「他者との関係の中に存在する」と言いましたが、その「他者」は人間だけでなく、外の「環境」も含みます。ルンバは壁にぶつかり、ランダムに跳ね返ることで掃除する。見方を変えれば、壁に掃除を手伝わせているのです。
ーここに並ぶほかの「弱い口ポット」にも、他者から何かを引き出す力があるのでしょうか。

むにゃむにゃと声を出す「む〜(Muu)」という目玉だけのロボット。コミュニケーション障害のあるお子さんのそばに置くと、誰にも関わろうとしない消極的なお子さんが、お母さんが驚くほど一生懸命に話しかけます。「む〜」の「弱さ」が、お子さんの関わりの力を引き出しています。
ロボットのもつ「弱さ」や「不完全さ」は、私たち人間が持っている「弱さ」や「不完全さ」と同じです。人間は本来的に、他者にゆだねだり、支えられたりする相互作用の中で存在するのです。
例えば、言葉です。電車の中で話している携帯電話の声には、なにかいらだちを感じませんか。
ーはい、いらだちますね。

私たちは片側だけの声に慣れていません。受け入れ先のない言葉は意味の空白に浮かぶ。その不安定さを身体が知っているのです。私たちは言いよどんだり、言い間違えたりしながら平気で話します。それは失敗ではなくて、話すという行為が発話の段階では完成しておらず、相手の反応や返事に支えられて完結するからです。
英語を話すとき、親しい相手が相づちを打ってフォローしてくれると意思疎通ができるのに、不機嫌そうな相手だと、いつも以上にたどたどしくなってしまう。誰にもある「弱さ」や「不完全さ」が相手に補完され、支えられてコミュニケーションになる。そういう意味で、私たちの言葉には「応答責任がある」と考えてきました。
ー話に返事をする「責任がある」ということですか。

はい。1980年代の後半、音声合成のICチップが実用化され、自動販売機で買うと「アリガトウゴザイマシタ」と音声が出るようになりました。でも、感謝の気持ちを感じられない。今は代わりに「こんにちは」という合成音がよく聞こえますが、友人のあいさつには返事をする私たちが、ロボットの「こんにちは」には、返事をする責任を感じません。「応答責任」とは何だろうかと考える過程で、相手の目線を気にしながら話すロボットができました。

ー 一方で介護現場などでは、労働力として「強いロボット」が期待されていると思いますが

ロボット研究者たちは、介護現場で発揮できる技術の議論に夢中です。お年寄りの口に食べ物を運ぶ。その体をベッドから車いすに移動させる。でもお年寄りが物のように扱われていませんか。コミュニケーションの質の面から、どんな点に配慮すれば彼らの尊厳が保てるのか、ガイドラインを作るような議論も必要だと思います。
ー ケア現場や男女の恋愛の行き違いなど、著書の『弱いロボット』はいろいろな読み手に、さまざまな解釈をされていますね。

この本は主張も弱く、明確な結論もない。でも、読み手が、想像力で上手に補完しつつ読んでくれる。書評を読み、「これが自分が言いたかったことだったのか」と発見するほどです。だから、この本は「弱い本」です(笑い)。

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